「新しい歴史」と「リアルな現代」を体感するRPG

皆さんこんにちは。私が今、最もはまっていることはズバリ大河ドラマの「麒麟が来る」です。「麒麟が来る」をご存じない方にどんなドラマであるかご紹介ありがとうございます。このドラマは明智光秀を主人公とし、人々に恵み深い政治を行う王のところに現れるという伝説の生き物、「麒麟」を巡る話です。麒麟とは一体何なのか、そしてそれはどのようにして英雄の前に現れ、荒れ果てた乱世を終わらせるのかが物語のテーマとなっています。また今作では最新の歴史研究を踏まえており、歴史上の出来事や斎藤道三、織田信長を始めとした多くの歴史上の英雄たちが新しい解釈で描き出されています。歴史上の武将たちの新しい人物像やその生涯、そして日本史上最大のミステリーと言われる「本能寺の変」の真相が見どころとなっています。コロナウイルスの影響により6月で一旦放送が休止されますが、最初の山場である美濃斎藤家編が終わり福井の一乗谷朝倉家に舞台が移ります。私にとってこの「麒麟が来る」は人生で初めて最初から視聴している大河ドラマです。日によっては再放送で2回視聴するときもあります。物語が光秀を主人公したロールプレイングゲームのような構成(いわばキリンクエスト)であったり、人間そのものを描いたドラマに関心が持てるようになったことが理由だと考えられますが、一番の理由は「自分が生きる現代ととてもマッチしている」ということです。話題が変わりますが、現在私たちはSNS、インターネットによって戦国時代の人が一生分に得られる情報を瞬く間に得ることができるようになりました。それによって人々は世界中の今まで全く知らなかった価値、文化と接触する手段、機会を獲得しました。皆様もグローバル化、ダイバーシティなどという言葉を聞いたことがあると思います。これによって、私たちはこれまで知らなかったがために起きた偏見差別、経済や技術の格差、貧富の差を超越し、戦争も貧困もない世界中の人と仲良く共に生きる夢の21世紀が訪れると「思っていました。」しかし現実をご覧ください。SNSでは自分の存在を隠し、誰だか分からない者の発言を鵜呑みにし、それが正しいかどうか調べることもせず拡散し、それを何処のだれかも知らない者から指摘や批判されれば罵詈雑言を浴びせる。更に昨今ではAIによりより難解なフェイク情報が作られるようになりました。ゆえにSNSでは「真偽不明の真実」=「詭弁」によって飽和しており人々は正しい情報ではなく、「自分が気持ちいいと思えるもっともらしい詭弁」で自己を形成、正当化します。それはもはやグローバルや多様性と全く逆行(しかも以前よりもさらに萎縮)した行いであり、人々は自身の殻に籠って自分を甘やかす詭弁を貪る、自我も社会性も成長しない幼児に成り下がっています。更に自己の萎縮だけでは終わりません。自身が大切に温めてきた詭弁の世界に他人が干渉してくることがSNS上で多々あります。勿論その他人も自身の詭弁世界を生きている人間であり「自分の信じているものの方が正しい」と自負しています。炎上や誹謗中傷はいくら匿名であるとはいえどうしてモラルや礼儀を学んだはずの人間が会ったこともない人間の根本まで否定するのでしょうか?個人の見解ですがおそらく相手の事を「詭弁によって成り立った実体なきモノ」と考えているからではないでしょうか。人間の性格、趣味嗜好、価値観が全てインターネットで拾 ってきた「真偽はともかく自分に都合のいい情報」をもとに作られたのならば、その人格は「正論」によって崩れ落ちるほど脆弱です。しかもその「正論」はこれもまたインターネットで簡単につぎはぎし論理を作ることができます。さらにたちが悪いことにこのつぎはぎ正論はつぎはぎゆえに「一見正しく思えるがまるででたらめな言い分」であるということです。つまりSNS上の炎上には公正さも明確な論点も存在せず、誰のために何のために言い争っているかもわからない架空の人間による代理戦争を当事者のほとんどが無意識に繰り広げているのです。また、SNSでは人間は詭弁で成り立った「実体のないモノ」「フィクションの存在」であると感じるため「殺しても構わない」と考えるのだと推測します。まるでテレビゲーム上で人間を撃ち殺すような感覚です。まとめますと、インターネットによって自身の都合の良い「自分」を作り上げて極めて小さい世界に引きこもり、自分の都合のいい人間とだけ集まり、自分の価値観と合わないものを徹底排除するというのが現代の情報社会であると考えます。それはまるで、自分の遺伝情報を他の生物の細胞を借りて増殖し食いつぶす「ウィルス」のように。さて長い横道でしたが、現代の情報社会の話が「麒麟が来る」とどう関係があるかというと、自分の都合のいい主張のためにテリトリーを構え、従わぬものを滅ぼしていく姿はまさに戦国乱世の構図そのものだと感じます。また登場人物の斎藤高政は自分の父は道三でなく名家の土岐一族であると偽りの「自分」を作りあげ、朝倉義景は自分たちさえ平和ならよいと一乗谷に引きこもりました。京都では将軍を差し置いて自分の権力のために飽くなき抗争が続きとても貧しい街と化していました。そんな中、光秀は道三の言葉である「誰も手出しできぬ大きな国を作る夢」を胸に再起の機会を探るというのが現在まで放送された内容です。現在中国とアメリカで新たに冷戦が起きると危惧されており、スペイン風邪による世界恐慌後にブロック経済圏を形成し、第二次世界大戦に至った歴史の流れと酷似しています。もしかしたら戦争が起こるのかもしれませんし、残念ながら現在この地球上のどこにも麒麟はいません。それらはSNSで起こっている「自己の萎縮と他者の排除」と似ています。「麒麟が来る」というドラマは私にとっては「リアルな現代を描いた大河ドラマ」だと考えます。ぜひ皆様もこのドラマで「未知の歴史」と「鏡写しの現実」を体感してみてください。

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